フィールドワーク教育ならぬ「フィールド教育」

『人類学者たちのフィールド教育―自己変容に向けた学習デザイン』(以下、本書)では、フィールドワーク教育ではなく、「フィールド教育」という表現を多用しています。

一般的にフィールドワーク教育というと、事前にリサーチデザインをしっかりして、フィールドに赴き、その結果を民族誌(あるいは報告書)としてまとめ上げるまでの一連のノウハウの教授を意味します。そして、フィールドワークをどのように教えるのかについては、すでに多くの書籍が刊行されてきました。

このフィールドワーク教育が人類学という学問を学ぶ上で欠かせないものであることに異論はありません。しかし、人類学者が学生に提供できるのは、こういったフィールドワークという調査のノウハウだけではないはずです。これが本書の編者たちの共通の問題意識でした。

人類学者がフィールドワークのなかでやっていることは一体何か。本書を製作する過程で編者たちが最初に取り組んだのはこれでした。編者たちは、自分のフィールドワーク経験を振り返り、その核となるものを言語化してきました。

それを本書では、①概念をフィールドの社会的文脈に埋め込んで理解すること(社会的文脈)、②フィールドの状況に巻き込まれながら図らずもさまざまな気づきを得ること(偶発性)、③自身を省みることを通して既存の世界観を相対化すること(自己省察)の3つにまとめました。ここに本書の特徴のひとつがあります。本書ではこれらを、「人類学者の3つのコンピテンシー」と呼んでいます。

もちろん、ほかにも核になる要素はあるでしょう。しかし、まずは「これだ!」と明確に言語してみることによって、本書の後の展開が容易になりました。

人類学の分野ではこれまで多様なフィールドワーク論が登場しました。これらの議論のなかに統一した見解を見出すのは難しいのが事実です。しかしそれでも、人類学と他の分野のフィールドワークとの違いをあえて見出すならば、「社会的文脈」「偶発性」「自己省察」に高い価値を置くという点なのではないかと思うのです。(この3つのコンピテンシーが何を指すのかは、本書をご覧ください。)

では、教育の現場で、この3つのコンピテンシーを、学生に身につけてもらうには、どうしたらよいか。そう考えると、教育現場において、「調査」のノウハウの習得のみを前景化させる必要はないということに気づきます。

リサーチデザインをしっかりして、インタビューなどを通して必要な情報を聞き出して……という方法で報告書を書き上げたとしても、必ずしも「文脈探索」の力が身につくわけではないですし、フィールドのなかで予期せぬことが起きたとしても、目的に合わせて、それを上手に活用できるようになるわけではありません。

むしろ、3つのコンピテンシーを直接身につけられるようにする、「調査実習」とは異なった「学びのデザイン」が必要ではないかと思うのです。

そう考えたとき、上記の意図をもって作られた教育プログラムを、「フィールドワーク教育」と呼んでしまうと、私たちの試みが誤解されてしまう恐れがあることに気づきました。私たちの試みは、「フィールドワーク」という調査の方法を学ぶのではなく、フィールドという場において人類学特有のコンピテンシーを身につけてもらうことにあります。

それを私たちは「フィールド教育」と呼ぶことにしたのです。

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