モンゴル研究者の木下光弘さんが、多民族国家中国とマイノリティの関係性に注目。長年に渡って中国の少数民族たちと関わってきた木下さん独自の見解を知れば、中国に対するイメージや向き合い方が変わるかもしれません。
いま、中国との向き合い方が大変難しい時代になりました。
中国に親近感を持つ人びとが多い時代もありましたが、強権化した今日の中国へのまなざしは、大変厳しいものがあります。こうした傾向は日本国内だけでなく、国際的にも拡がりつつあるように感じます。
ただし、日本においては中国への経済的な依存も存在し、「日中友好」という美名を理由に、2019年からの香港民主化運動への暴力を伴う弾圧や、新疆ウイグル(東トルキスタン)におけるチュルク系住民らへの人権侵害などを黙殺する人びとがいます。こうした人びとは「親中派」と呼んでも良いのかもしれません。
一方で、さまざまな中国の問題点への指摘の中には、中国人に対する感情的な非難や攻撃を目的とした主張が少なくありません。いわゆる「嫌中派」と呼ばれる人びとによるものです。嫌中的な声は中国のさらなる強権化とも相まって、ずいぶん大きくなってきています。”嫌中ビジネス”なる言葉が存在しているには、その証拠ともいえるでしょう。
漢人や中国社会に対し、安易に”負のレッテル”を貼ることは避けたい
私は若いころからエスニックな世界に身を置くことがとても好きで、繰り返し内モンゴルやチベット、雲南省などの中国の少数民族地域に足を運んできました。必ずしも十分とは言えない「中国語力」の私を、彼ら彼女らはいつも笑顔で歓迎してくれました。このため、心情的には少数民族寄りだと自認しており、中国におけるひどい人権侵害や少数民族文化の軽視、抑圧には強い危機感を持っています。
しかし、だからと言って、民族的マジョリティである漢人や中国社会に対し、安易にスティグマ(負のレッテル)を貼ることには慎重でありたいと思っています。もちろん、漢人にはマイノリティである少数民族よりも、確実に「優位性」があります。権限や権力のあるポストのほとんどは、漢人が握っています。ですが、権限を持ちマジョリティでありながらも、マイノリティの諸問題の改善を真剣に考える漢人もいるのではないでしょうか。
先日、明石書店から出版した拙著『中国の少数民族政策とポスト文化大革命-ウランフの「復活」と華国鋒の知られざる「功績」』(2021年発刊)の中では、華国鋒(カ コクホウ)に注目しました。彼は、漢人であるだけでなく中国政界トップの中国共産党党主席だった人物です。一般的に、毛沢東と鄧小平の「中継ぎ」的存在と捉えられることの多い華国鋒ですが、民族問題に対する彼の姿勢は、比較的前向きなものであったことを拙著では取り上げています。
もしかすると今現在も、私たちがまだ十分に承知していないだけで、社会的弱者たちの格差の是正を試みようと考えている漢人が、存在しているかもしれません。漢人はすべてが「悪人」であるかのように断罪するヘイトからは、華国鋒のような漢人の「功績」は見えてきません。
もちろん、華国鋒にも、支配性(コロニアル性)、マジョリティ性がありました。漢人という民族的マジョリティが持つ加害性には、常に批判的であるべきだと思います。しかしながら、こうしたマジョリティの加害性への批判と漢人へのヘイト的な言動はまったく別ものです。
マイノリティの希望は、エスニック・エリートの活躍
他方で、どれほど抑圧的な状況であっても、その中でエスニック・マイノリティは生活を続けているという現実も忘れてはなりません。大きな不安と不満が消えることのない社会の中で、彼・彼女らはマイノリティとして、その環境下で生き抜かねばならないのです。いまの中国では、直接的な抗議活動による訴えが、聞き届けられる可能性はきわめて低いと思われます。
圧倒的な力を持つ中国当局は、抗議活動を厳しく取り締まることでしょう。そうなると、残された希望といえるのは、エスニック・エリート(少数民族出身で、党や政府において一定の政治的権限を持つ者)の活躍です。少数民族の中には、漢人と良好な関係を築くことで、自身の生活だけでなく自民族全体のエスニックな利益を守ろうとするエスニック・エリートが少なくありません。
拙著にて注目したもう一人のウランフ(烏蘭夫)という人物は、内モンゴル出身のモンゴル人でありながら、中国共産党政治局員や国家副主席にまで登り詰めた大物エスニック・エリートでした。私は、ウランフとは中国という国家の中で、エスニック・マイノリティの置かれた立場を自覚しながら、少しでも民族的な利益を守ることを考え奔走した人物である、とみています。
管見のところ、今の抑圧的な状況下で、ウランフのようなエスニック・エリートを見出すことはなかなかできていませんが、もしかすると今を生きるエスニック・エリートたちの中にも、エスニックな利益獲得の機会をうかがっている者がいるかもしれません。
多民族国家中国と、マイノリティの関係性
さて、中国という国家は、マジョリティによる強い支配性があるものの多民族国家であり、そのうえ公式には民族の多様性を認めています。エスニック・マイノリティを暴力的に社会から消し去り、多民族国家から単一的な民族国家を目指すとは、今も中国当局は公言していません。ただし、現体制による強権性の強化は、エスニック・マイノリティにとって強い不満と不安、恐怖を与えていることは、否定することができない事実だと感じています。
少数民族言語の教育機会が大幅に削減されている今日では、文化的な画一化を求める方向性が強まっていることは明らかです。1966~76年まで続いた文化大革命のような時代に逆戻りするのではないか、という懸念の声もよく耳にするようになりました。マイノリティにとって、いまの中国は「不遇の時代」になりつつあるようにみえます。
しかし、それでも私は、華国鋒のような民族問題の改善を試みるエスニック・マジョリティや、ウランフのようにマイノリティである現実を受け止めながら生き抜こうとするエスニック・エリートたちについて、今後も注目し続けたいと思っています。つまり「親中派」でも「嫌中派」でもない立場から、中国社会、中国のエスニック・マイノリティに関する諸問題について考え続けていきたい。これが私の「中国」との向き合い方です。
社会的格差を改善するために、絶え間ない努力を
そして、われわれが所属する「社会」でも、中国の民族問題を他人事とするのではなく、包摂の度合いを高めるために、民族、ジェンダー、障がいの有無などの社会的格差を改善する絶え間ない努力を、私は続けたいと考えています。異なる他者を目の前にした時、理解ができずに苛立ってしまうことは、誰しもあることでしょう。このこと自体は、避けようがありません。
しかし、その他者に対して安易なスティグマ貼り、ヘイトを叫んでしまうと、社会的な包摂の度合いは高まらず、許容性の低い世の中になってしまうのではないでしょうか。これでは、結果的に息苦しい世の中になってしまうだけです。私はそんな社会で暮らしていきたいとは思いません。
とはいえ、微力な私にできることは多くありませんが、”理解しようとする努力”だけは続けていきます。
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木下光弘 プロフィール
博士(学術)。アジア文化・アジア史などのほか、中学高等学校教員の経験を活かし教職課程の授業などを大学等で担当している。コリアン系の人びとが多い大阪で生まれ育ち、幼い頃からエスニシティについて考えることが多かった。1999年に雲南省に留学し、ナシ、ペー、ミャオ、ワ、チベットなど数多くのエスニック・マイノリティ地域を訪れる。近年は、内(南)モンゴルをフィールドの中心にしながら、研究活動を続けている。近著には「内モンゴルにおける地下資源開発に関する一考察」『人文社会科学研究所年報 (17)』(2019年6月)、「「地理総合」「歴史総合」の必修化と今後の教員養成へ」『新潟地理フォーラム(13)』(2018年4月)などがある。国内のエスニックタウンにも関心を持っているが、こちらは調査というより食べ歩きや飲み歩きである。40歳を越えてからの子育てにも奮闘中。