みなさんは、「文化」と聞いて何をイメージしますか?
英語にすると「カルチャー」になり、音楽やアートなど、いわゆる趣味をイメージする人、経営学では「企業文化」として、企業それぞれが持つ特有の価値観や行動規範を定義する人もいるでしょう。
文化人類学の知見を深めるために、第一歩としてまず「文化」とは何なのか?をあらためて考えてみたいとおもいます。
人間と文化
約270万年前に地球上にいた人類の祖先である猿人は、直立二足歩行することで自由になった手指のおかげで、道具を作り火を操るようになりました。
さらに、声帯やその周辺の骨格が変化し発話する能力を身につけることで、知識や経験を言葉によって、世代を超えて受け継いでいくことができるようになりました。
人間は言葉を使えるようになったことで、社会が発展し、さまざまな技術を進化させることができたんですね。
私たちは、それぞれの個人が好き勝手に生きているようにみえますが、実際は、生物としての限界や社会の一員としての限界があるため、何かしら制限された世界の中で生きています。
確かに、猛暑のときはクーラーをつけるなど何らかの対策をしないと熱中症になってしまうし、法律を犯すと捕まってしまう。
その結果、人間の行動そのものや、その行動によって生まれる産物には一定の規則性ができる。このパターン化された行動が「文化」なのです。
それでは、文化人類学では「文化」をどのように定義しているのでしょうか?
文化の定義
一般的に「文化」というと、芸術や思想などの高尚な「ハイカルチャー」がイメージされますが、文化人類学で扱う「文化」では、人間が生まれてから社会集団の中で生きる過程で自ずと学んで身につけたもの全て、つまり人間の生活様式全体を指します。
この「文化」の定義は文化人類学者の数だけあると言っても過言ではありませんが、最も基礎的で有名なものにエドワード・タイラーによる定義があります。
知識、信仰、芸術、道徳、法律、慣習、および人間が社会の一員として獲得したすべての能力と習慣を含む複合体
E.B.Tylor『原始文化』1871年
この定義では、「文化」を特定の領域に限定せず人間の行為の全体を対象とするものとして、生物的遺伝ではなく後天的に学習して獲得していくものであると解釈していることがポイントになります。
実は「文化」は、私たちにとって身近なもの。
自分自身と向き合ったり他人について理解を深めるためには、その背景にあるもの、つまり「文化」について考える必要がある。
そして、「文化」をじっくり考えることこそが文化人類学なのです。
文化の普遍性と特殊性
「文化」には普遍的な側面と特殊な側面があります。つまり、全ての人類が共通して有する「文化」と、特定の集団だけが有する「文化」があるということです。
「言葉を話す」という文化は全ての社会で見られることですが、どの言語を話すかは環境によって異なります。他にも、家族・親族という集団は世界中で共通して見られるものですが、その形態は社会集団によって違いがあります。
よく「日本人は働きすぎ」といわれるように、欧米と比べて長期休暇が少なかったり、残業があったりと労働時間が多い。その背景には、日本人に特有の同調性や勤勉志向も関係しているのかもしれない。
賃金と引き換えに働くという行為は同じなのに、その国の文化や会社によってルールや習慣が違う。なぜ同じ労働なのに「違い」があるのかを探ることで、その文化や会社の深層がわかることになります。
文化人類学では、こうした普遍性と特殊性の両面に目を向けながら文化を理解することで、より抽象的な命題である「人間とは何か」に近づこうとしています。
文化の影響
「文化」は人間の生理的反応にも影響を与えることがあります。
例えば、女性が客人にサンドイッチを振る舞い、客人が美味しく食べた後に女性が「サンドイッチには蛇の肉が入っていた」と明かすと、客人は気分が悪くなって嘔吐してしまったという話。(C.Kluckhohn『人間のための鏡』1971年、原著1949年)
食に関する文化は民族によって異なるため、実際には身体に害がない食物でも、自身の文化では“食べ物”として認識されていない食物は、身体が拒否反応を起こしてしまう場合があるのです。
「おいしい」「まずい」の次元ではなく、その人が属する社会で“食べ物”か否かが重要。自文化から逸脱することで、心身に影響を与えることがあるんだ。
文化の基本は分類すること
私たち人間は、ある食べ物を「食べられる/食べられない」という根本的な区別に加えて、「高級/庶民的」「海の幸/山の幸」など様々な視点から分類しています。
こうした分類は食べ物に限らず全ての事柄について人間が行っていることで、「似たもの」や「同じ」と見なすものを同じカテゴリーに入れて整理することで意味付けがなされています。
前述の「蛇を食べるか、食べないか?」のように、何をどのように分類しカテゴリー化するかは社会によって多様性がありますが、分類しカテゴリー化すること自体は、文化の普遍的な側面になります。
私たちが何らかのアクションを起こすときに、これは「良い」ことか、それとも「悪い」ことか?どちらに当てはまるのか?を頭の中で判断しています。
その判断は、これまで身につけた常識やルール、個々の価値観などの“物差し”から下される。食べ物だけでなく趣味や恋愛まで、さまざまな志向の判断となる「好き嫌い」や「性格」までもが、なにかしらの“物差し”、つまり文化をベースに形成されるということになります。
「文化」は、人類学者タイラーが提唱するように、人と人とが関わる社会や集団のなかで、いくつもの要素が絡まり後天的につくられるものなのです。
世の中で起きているさまざまな状況に対して、目に見えたりすぐに気づくような表面的な解釈だけでなく、文化的な背景など、いろんな視点から考えることを大切にしたい。
それは、自分自身や他人について理解するときも同じように。