『人類学者たちのフィールド教育』でいう「自己変容」って具体的にどういうこと?
『人類学者たちのフィールド教育』(以下、本書)のキーワードは「自己変容」です。本書では、この自己変容を、自己の暗黙の前提が突き崩され、ものの見方が変わると同時に、自分たちの生きている社会を別様の仕方でみられるようになる、といった意味で使っています。
とはいえ、これだけだと具体的にどういった変化を指すのかがイメージできません。本書では、実践例を通して数々の自己変容の軌跡を記述しています。もっとも、本書で紹介できたのは、これまで指導者として経験してきた学生の自己変容のほんの一部です。わたしの担当するプロジェクト型学習プログラムにおいても、毎年のように多くの学生が自己省察を繰り替えし、興味深い変化の様相を記録に残してくれています。
今日はその一つを紹介します。
わたしのプログラムでは、毎年12月末に10日間ほど、東南アジアのラオスのコーヒー産地に学生を引率しています。プログラムの詳細は本書に譲りますが、学生たちはこの渡航を経て、帰国後に現地の社会的課題を見つけてもらっています。その後、学生主体のプロジェクトを立ち上げ、1年かけて準備をして、翌年12月に再度、現地に渡航して、対象となる人たちに対しワークショップを実施するなどして、成果を還元します。
ここで紹介する3年生のYさんは、今年度「ラオス版職業図鑑プロジェクト」を立ち上げて、リーダーとして他の学生たちを引っ張ってきました。図鑑といっても、ただの紹介だけでは子供たちは関心を持ってもらえないのではと思い、物語仕立ての職業紹介コンテンツを制作しました。
コロナ禍のため、現地渡航は中止となってしまいましたが、学生たちは1年かけて、ラオスの子どもたちが将来、夢をもって前に進むことができるように、いくつかの職業を紹介する物語をつくりました。
そのなかのひとつ、コーヒー農家の仕事を紹介する物語のなかに、こんな記述がありました。ラオスのコーヒーは日本にも輸出されているという事実を登場人物が告げた後、対話相手の子どもが「ラオスコーヒーを日本人にも飲んでもらえているのは嬉しい!」と発言します。これに対して、わたしは「この記述は、なんとも日本人のうぬぼれではないのか」と指摘しました。
Yさんは年度末に提出する「報告書」のなかで、この指摘について「納得した」と記すとともに、次のようにも書いています。
「もしかしたらこのプロジェクト自体が自惚れであり、自己満足なのではないか」
Yさんは、自分が小さいころ、将来の夢を堂々と語れる友人を見て劣等感を抱いていました。その友人たちのようにラオスの子どもたちも自分の夢を語れるようになれば、なんて素敵なことかと。こう思って職業図鑑プロジェクトを進めてきたYさんでしたが、根本のところから疑問を抱いたのです。
なぜ将来の夢を聞かれたときに、自分たちは「職業」を言わねばならないのか。自分たちが職業図鑑を提供することで、ラオスの子どもたちを「職業」という枠に閉じ込めてしまうことにならないか。
そして、Yさんはこういう結論に至りました。
「必要なのは職業を通して今の自分に足りないこと、やるべきことを自分で 考えることなのではないだろうか。「頭が良くなりたい」という子は身近な先生のすごさを知る ことで勉強の意欲が湧く、「ヒーローなりたい」という子は警察官を知ることで人により優しく なるなど、将来の夢とは必ずしも職業でなくてもいいのだ。あくまで職業は少しだけ自身の考 えや行動を変える“きっかけ”に過ぎない」
将来の夢を職業という鋳型にはめて語るのではなく、「結婚したい」「海外に住みたい」ともっと自由に考えていいではないか、というのです。
Yさんは過去をふりかえり、「読んだ漫画の中には『将来の夢はお嫁さんになることです』とクラスで発表したら全員から笑われるという描写を何回か見かけた」と記しています。まさに、こういった刷り込みが、私たちの将来を、職業という形で答えさせる方向に仕向けていたことに気づきました。
わたしはこのYさんの1年の活動を通して自己省察した記録を読み、これこそが、「自己変容型フィールド学習」の成果だと考えました。「将来の夢は職業で答える」「将来の夢を堂々といえるように、図鑑のような形でリスト化して職業についての知識をえる」といった、私たちがどこかでこれまで経験して、当たり前のように思ってきた前提を疑っています。
ここで紹介してきた気づきは、人によっては些細なことだと感じるかもしれません。すでに、そんなことには気づいているという人もいるでしょう。しかし、Yさんにとっては、自分の経験を通してある時ふと「降りてきた」気づき――ある意味では「天からの啓示」のようなもの――なのです。
仮に他人から「将来の夢を職業で答えるなんてナンセンスだ。もっと自由に答えてよい」と言われても、Yさんの心にはまったく響かないでしょう。Yさんが自身で気付いた結論と同じ主張ではありますが、あくまで経験を通して、あるとき自分で気づいたことで、心に深く刻まれることになるのです。
そして、こうした自己変容はラオスへの渡航という経験があったからこそ実現したというのが、わたしの見解です(これについては次回説明します)。
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職業図鑑プロジェクトは、実はまだ継続しています。しかし、Yさんのこの気づきは、卓袱台(ちゃぶだい)返しのように、プロジェクトそのものを根底から覆すものです。では、このプロジェクトは、このまま終了してしまうのでしょうか。
わたしはそうならないように、メンバーに語りかけます。
「Yさんの気づきをふまえつつも、本当にラオスの子どもたちにとって「職業図鑑」は必要ないといえるでしょうか?」
実は、わたしにも答えがありません。ここでプロジェクトがストップしてしまうと、学生たちがラオスの小学生や先生とかかわる機会そのものが失われてしまいます。そうするのではなく、あくまで答えを宙づりにした状態で、そのままプロジェクトを進めてもらうほうがずっと意義深いものになるのでないかと思うのです。さて、来年度、どうなるか?
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