「人間とは何か?」を探ることから始まる
人類学は、その研究対象が人間に関わることであれば地域や時間を問わず、多岐にわたるのが特徴です。人類学の研究が盛んなアメリカ合衆国で、はじめて人類学の博士課程が設置されたコロンビア大学のプログラムは、形質人類学(or自然人類学)、文化人類学(社会人類学)、言語学、考古学の4つから構成されました。
形質人類学は生物学の下位分野に、文化人類学は社会科学に、言語学と考古学は人文科学に分類され、人類学は理系から文系まで幅広い分野にまたがっています。
①形質人類学:骨格の違いから人間の移動の歴史を明らかにするなど、人体などの生物学的な側面から人間を理解する。
②文化人類学:人間がつくり上げてきた文化を通じて、社会的な側面から人間を理解する。
③言語人類学:文化の中でも特に人間が操る言葉に焦点を当てる。
④考古学:発掘などによって発見された、過去のモノからその時代の文化や人間に迫る。
こうした人類学の各分野は、いずれも研究を通して「人間とは何か?」を明らかにしようとすることは共通しています。
人類学の中で文化人類学は、おもに現在進行形で「生きている」文化を扱うのが特徴。
だからこそ、さまざまな異文化に接しながら生きる現代の私たちにとって、日々の実生活に役立つ知見がたくさん詰まっているのです!
ということで、本メディア「サバイバル∞人類学」では、主に文化人類学を扱っていきます。
文化人類学とは
心理学や哲学をはじめ他の学問でも人間を対象としますが、文化人類学は、研究手法や対象へのアプローチの仕方が他の学問と違います。
例えば、哲学も「人間とは何か?」を追求しますが、哲学では“頭の中で構築された人間”を扱い、いっぽう、文化人類学では“実在する人間”を扱う点が異なるのです。
また文化人類学では、研究対象を多角的に捉えるホリスティックアプローチと長期的なフィールドワークを行うことも特徴のひとつ。統計などの数字には現れてこない何かを理解するために、具体的な人物や事象に焦点を当てた質的研究を重視しています。
■ホリスティック・アプローチ:ひとつの事象を、いろんな角度から考えて全体的に物事をとらえること。
例えば、ある社会の音楽について調べる場合、奏でられる音楽そのもの、使用される楽器や譜面といったものはもちろん、それらの歴史、奏者はどういった人物なのか、どのような機会にどんな場所で演奏されるのか、練習方法や師弟制度など……その社会の音楽を取り巻くもの“全ての側面”の情報を収集して分析します。
“ホリスティック”とは「全体的、包括的」という意味。
病気も、生活習慣、食べ物、体質、気候、ストレスなど、発症する要因はさまざま。同様に、ひとつの事象は複数の要因から発生していると考えらます。
■フィールドワーク:研究者自身が研究対象の社会に入って、分析のためのデータを収集する研究手法。
フィールド(調査地)でインタビューや観察を実施する手法は、様々な学問で採用されていますが、文化人類学に特有なのは、フィールドに長期滞在し、自分もその社会に関わり交流しながらデータを収集する参与観察です。
初対面の人に対して話すことと、仲良くなってから話すことの内容は違うもの。
対象はモノではなく、あくまでも人。時間をかけて信頼や友好関係を築いてから話を聞くと、本音とタテマエの両方の情報が引き出せるはず。
■質的研究:数字だけでは解らない質的な情報から、社会を理解する研究手法。
選択形式のアンケートや統計調査のように人や物や現象を数量化し、標準化された手順を用いて分析する量的研究に対して、質的研究はインタビューや観察で得られる言葉や画像や動画などのイメージなど、質的なものに注目する研究手法です。
年齢や身長と違って、「好き」という気持ちや愛情を数値化することは難しいですよね。
だから相手の話や表現するものから、気持ちや考えていることを探る必要があるわけです。
文化人類学者の役割
これらのような手法を駆使しながら、文化人類学者たちは文化の多様性を理解するために、対象の内と外の両方に着目して研究します。
かつては、アフリカの奥地や北極圏の狩猟採集民のように、いわゆる白人社会から見た「未開」と呼ばれるような地域で孤立した人々の文化が研究対象になりましたが、現代では、グローバル化によって孤立した民族集団はほとんど存在しません。
人間が生きているところには必ず文化があり、文化自体も変容していきます。昨今の文化人類学では、文化をさらに広く捉え、文化人類学者自身が属する社会の文化まで対象になります。
私たち人間について、表層的な言動や現象だけでなく深層的な背景やロジックを探るために、文化人類学者は異文化に潜入し、人間の営みの全体像を把握しようと努めます。
さらに、異文化から導いた発見や気づきを“写し鑑”にして、自分が属している文化や社会について再確認するのも、文化人類学者の役割になります。
文化人類学者は、異文化と自文化を行き来しながら、「人間とは何か」を多角的に理解しようと試みています。
そして、文化人類学による異文化についての発見が、私たちの日常生活を見つめ直すきっかけになることもあるんですね。
なぜ文化人類学が必要なのか?
人間が特定の文化の中で育ち、「これは良いこと、これは悪いこと」というような分類の仕方をはじめ様々なことを学んで一人前になっていくことを「文化化(encultulation)」といいます。
文化化の過程でその文化における認識や判断の基準を獲得しながら、自身の「あたりまえ」を構築していきます。
しかし、こうして身に付けた「あたりまえ」は時に視野を狭め、行動の制限になることもあります。そして、日々の習慣や自分の癖をなかなか自覚できないように、ふとした言動や考え方の根本にある「あたりまえ」を自身で認識することは、実は難しいことでもあります。
この「あたりまえ」の殻を破るためのひとつの方法が、別の「あたりまえ」に接しながら、自らを振り返ることです。
他の集団の文化から自文化との異なる点を見つけることは、比較的簡単です。
旅行先で立ち寄ったスーパーに見慣れない野菜が売られていたり、海外で挨拶をする際に気軽に握手やハグをすることに抵抗を感じたりする人もいますよね⁈
こうした異文化との接触による発見や違和感のようなものを通じて、それを“写し鑑”として自分が属する文化を再発見していくことで、輪郭のぼんやりとした「あたりまえ」もひとつひとつ明確になります。
その結果、いま「あたりまえ」になっている物事が、自分や自分が属する社会にとって相応しいのかを、あらためて考えてみる機会になります。
私がタイで生活していた時のこと。タイの住居では洗濯機とキッチンがなく、洗濯はクリーニング屋へ、食事は屋台で買うのが主流だったことにビックリ!
これまで「炊事や洗濯など家事は、自分で行うのが当然」と思ってきたことを、考え直すきっかけになったんです。
異文化(他人)を探る文化人類学は、自分自身を知るためのヒントを提供し、それを学ぶことで偏見のない人間の見方や感じ方を身につけることができます。
異文化を探ることで見つけた発見や違和感が、自分とは違う他者を理解し、さらには自分自身の新たな一面を見つけることにつながります。
他人についてだけでなく、「私とは何者か?」をじっくり考えることこそが文化人類学なのです。